怒りの葡萄、ヒロイズムについて

 朝7時に起床。今朝も多摩都市モノレールはダイヤが大幅に乱れている。職場には10分ほどの遅刻。

  昨日は夜2時ぐらいまで起きて、嫁さんと「怒りの葡萄」(1940年)をDVDで観た。全編、暗く重い気持ちで画面にじーっと向かう。だいたい普段は、相棒とか、帰れま10とか、ガキ使とか、モヤモヤさまぁーずとか、嫁さんといっしょに見るのはそんな感じなんで、「怒りの葡萄」はそれらにくらべると格段に相当に重かった。映画ラストで家族から去っていく際のヘンリー・フォンダ演じるトム・ジョードの言葉が胸につきささり、そのあたりでは正座してテレビの画面を凝視していた。

 以下、五十嵐正さんの著書「スプリングスティーンが歌うアメリカ」より抜粋。ブルース・スプリングスティーンが映画「怒りの葡萄」、特にそのラストシーンから受けた影響について。ロックンロールの長年の信条である「激しく生きて若く死ぬ」という自己破滅的な英雄的行為(ヒロイズム)とは対極にあるヒロイズムのこと。スプリングスティーンは語る。

「死の崇拝は常にロックンロールの一部だった。危険を顧みない生き方や自滅型の振る舞いとかが常にもてはやされてきたからだ。でも、それらが常によい考えというわけではなかった。結局自滅してしまった連中の死はとても残念だし、彼らの音楽をもっと聴き続けたかったよ。でも、そこにはヒロイズムなんてない。ただの間違いだ。僕が言うヒロイズムとは、人生は生きるという価値があるという考えが個々の存在より大きいもので、時にはそのために自分自身の身を投げ出す価値があるという考えだと思う。それが『怒りの葡萄』で描かれていたヒロイズムだ。古風な考えだろうけど、今日でも意味があることだし、これに取って替わるものなんて何もないよ。」